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親愛なる苺鳥へ。
お元気ですか。 春が来ないと思ってたら、一気に夏になってしまいました。 空気のむんとした重さやじんわりと肌に感じるうすくかいた汗が 冬が完全に去ったことを告げているようで嬉しいです。 一般的には不快感と呼ぶのかもしれないけれど。 でもそのせいでせっかく買った白いステキレインコートも、 お気に入りのピンクの子もあまり出番がありませんでした。 がっかり。 ボロボロになるまで着倒してしまおうと思ってるくらい 大好きな形のコートなので、また秋まで待てばいいだけなのだけど このままだと日本は夏と冬だけの国になってしまいそうで、それが気がかりです。 ただ、冬が踏ん張ってくれてると一つだけいいことがあって、 今年は例年より長く苺が楽しめてる気がします。 終わりのほうの苺は痛みやすい上に値段も高いのに 今年はそうでもないようです。 あくまで私見ですが。 相変わらずの無聊の日々です。 5月は好きな花や、名前の知らない花や、気付かなかった花やいろいろ咲き乱れるので ただ歩くだけでも楽しいはずなのに、 毎日通っていた道の、ずっと続いていたツツジの植え込みでさえ 枯れて色褪せた花びらがこびりついてるのを昨日やっと気が付いて 花が咲いていたことを知りました。 ショッキングピンクの大きなツツジ。たぶん。 そのわきを、何も見えてない目で、どこかずっと遠くを思いながら毎朝のしのし歩いてたんだわ。 見上げた空の壮大さに胸が震えたことだってあったはずなのに、 心がカサカサしているせいかいろんなものが意味をなさなくなっていって、目に入らなくなっているみたい。 有意味なことは結局一つのところにしか繋がっていないのです。おそらく。 圧倒的な虚無感と自己嫌悪の渦のなかでは小さな感動なんてあってないようなものなのです。 今日は、 今日は何年ぶりかに、動いてる姿と声を耳にしました。 といっても、実物じゃないです。少なくとも一ヶ月以上は前の姿。 それでも何でもとにかく嬉しくて嬉しくて、ずーっと見ていたかったけど、 あからさまに怪しい人になってしまうので、ぐっとこらえました。 そこはかとなく怪しい行動ならもう既に何度となくとっている気はするのだけれど。 きっと、誰もいなかったら延々リピートされるその映像を あたしは何時間でも見続けていたと思います。 というか、また、行ってしまうのだろうな。同じ映像を見るためだけに。 展覧会のねらいとは全くかけ離れた目的のためだけに。 あの散歩しがいのない世界の終わりみたいな何の息吹も感じない道をてくてくと歩いて。 なんておろかしい。 時間が解決してくれるなんていうのは、とんでもない嘘で (もちろん有効な場合もあるでしょうけど。) 昨日より、一ヶ月前より、一年前より、三年前より今日の方がずっと苦しいです。 明日はきっと今日よりも苦しいはずです。 日々、蓄積されていくばかりで、 いつかぷつんと切れてしまうのではないかとどきどきしています。 今はまだ、感情の破裂が一人でいる時に限られているけれど、 いつか、人前でも堪えきれなくなる時がきてしまいそうで、それだけが恐怖です。 何故こんなに苦しいのか、自分が何を求めているのか、よくわからないから余計に苦しいのです。 もう終了してしまったことについて、 何を求めても為す術もないのはわかってるのに、 聞き分けの無い子供のように、ぐずぐずと、想い続けています。 投函するつもりのない手紙と、抱えきれなくなった言葉を書きなぐった紙片だけが 毎日毎日増えてゆくのです。 自分の気持ちなのに自分でコントロールできないのはどうしてかしら。 あたしがあの歌を選んだのは、きっと他人事に思えなかったからなのだろうな。 いつか必ず終わりが来るなら、その後にこんなに苦しい時間が続くのならば 誰のことも好きになんてなりたくない。 もう会えることのない人生ならば、早く早く終わってほしい。 最初から期限付きだったのに、了解したはずなのに、あたしだけ取り残されたまま、 時間だけが流れていきます。 不愉快な思いはさせたくないし、うんざりされたくもないのに。 本を読んでいるときと、映画を観ているときだけは、 あたしの中にあたしがいないので、少しだけらくちんです。 あと夢を見ないで眠っているとき。 たとえ夢で会えても、現実と同じくらい遠いです。 無意識下のあたしはちゃんとわかっているらしい。 おやすみなさい。 やべかなこより。 # by kannne | 2010-05-23 03:18
親愛なる苺鳥へ。
お元気ですか。 骨まで凍ってしまうような寒さですね。 やっと、冬がやってきたような感じです。 やっと、って、あたしは別に冬がくることなんて一切望んでいないのだけど。 むしろ永遠に来ないでほしいほどなのだけど。 一昨日、この冬最初の苺を食べました。 大きくてごつごつしたとちおとめ。 ちょっとすっぱくて、先のほうだけほんのり甘くて、薄い味がしました。 これから春先まで、あたしはきっと数えきれないくらいの苺を食べるでしょう。 苺は冬の元気の源です。 あんなに華奢な外見なのに、たくさん力をくれる可愛い子。 また苺狩りに行けるといいな。 今度は早い時期に。 もぎ立ての苺は格別で、ソフトクリームにのせて食べると、もう、 嬉しくって笑い出しちゃうくらいの美味しさです。 日曜日に春の和菓子みたいなコートを衝動買いしました。 お抹茶のような渋いけど柔らかい黄緑と桜みたいなうすピンク、ほんのりグレー。 もふもふと鮮やかで、でも派手すぎなくて、 フレアのラインが後ろ姿を綺麗にしてくれます。 あたしの持っている服はバックシャンな子が多いのです。 計算されたパターン。控えめな自己主張。 顔も足の長さも変えることはできないけどね、 服のラインで後ろ姿くらいは美人さんになれるのです。 今年はアウターの当たり年で、もう予約済みの白いコートも含めたら、 4つも手に入れてしまいました。 普段それほど服を買わないので、何かの病気ではないかと心配になる。 お気に入りのコートを着ると、会いに行きたくなる人がいます。 実行はしないし、できないけれど。 二度と会えなくなったときのために、 出来る限りの細部まで憶えておこうとしたせいで、 未だに記憶が衰えず、会いたいと思った瞬間に、 鼻の形や首の皺や、手の大きさやお腹の柔らかさ、声の調子まで、 まるでさっき見て来たかのように、立ち所に脳裏によみがえります。 何かの病気ではないかと心配になる。 もうじき、頭の中のその人の年齢にあたしが届いてしまうというのに。 年齢を重ねれば誰でも大人になれるのかと思っていたけれど、 あたしはちっとも成長できずに、 遠い背中は遠いまま、強く、記憶の中ですら近づくことができません。 どうしてこんなことになってしまったんだろう。 どれだけ間違えればあたしは変わることができるのだろう。 一人とぼとぼと誰もいない夜道を歩いていると、 もうすでに全ては終了してしまってて、 今が、空っぽな抜け殻のように思えてきて、 たくさん嘘をついて作り上げたこの平穏な日常に やるせなさと罪悪感がいっぱいで 涙が止らなくなります。 それでも、 触れられてた時間は確かに存在したのだから、 その事実を持っているぶん、 5年前のあたしより、 今のあたしの方がはるかに幸せだと信じていたいのです。 今年の手袋はミトン型でアンゴラが入っているので柔らかく気持ちがいいです。 ひも付きだから片方だけなくす心配がないかわり、やや使いにくい。 手の甲に並んだリスには見えないリスがポイントです。 そしてまた、かけらが増えて、自分を息苦しくしてるんだ。 胸の奥がぎゅうぎゅういってます。 夏が恋しいです。 暑さが脳みそを溶かしてくれるから。 チョコレートは、冬の方が美味しいけどね。 では、また。 やべかなこより。 # by kannne | 2009-12-19 00:20
親愛なる苺鳥へ。
一人の夜は長いです。 とてつもなく長いです。 あたしは5分置きに時計を見ています。 時計? そういえば、うちに時計はありません。 かわいい子を見かけると、買おうかと思うこともあるのですが、 今までもないままで不自由しなかったし、わざわざ物を増やす必要もないかと、 わりとすぐに思いとどまります。 同じような感じでティッシュもうちにはありません。 なのに何故かティッシュボックスだけあります。 空っぽのままベッドの横でひっそりと。 今日は予定がなくなっちゃったので、 昼過ぎまでベッドから出たり入ったり、 ぐずぐずしてました。 朝見る夢はけっこう鮮明で、それがまたあたしを悲しい気持ちにさせます。 一人ぼっちになってから、残ってたバゲットと洋梨を食べてシャワーを浴びて、 3時すぎに天気がいいので、外にでました。 一昨日手に入れたばかりのくまみたいなもけもけのアウターと一緒に。 散歩は大好きなはずなのに、楽しかったのは途中までで、 古本屋から出て来たら何だかもう一刻も早くうちに帰りたくなって もどかしくっていらいらしながら、帰ってきました。 とにかく甘いものが欲しくなって、 昨日と同じようにココアを入れて、 昨日と同じように黒糖クッキーを食べました。 でも、昨日よりずっと美味しくなかった。 あたしは、ココアは真剣に入れます。 ココアとお砂糖とバターと、目分量でもきっちり量って真剣に練って、 慎重に暖めた牛乳を加えます。 めんどくさいです。 だから、自分のためになんて作りません。 でも、今日は自分一人のために真剣にココアをいれました。 なのに、美味しくなかった。 クッキーも何故かしょっぱかった。 大好きなパン屋さんの美味しいはずのクッキー。 独りぼっちはろくなことがないです。 ここ最近読んだ小説の主人公が立て続けに死んでしまったので、 (もうすでに読んだものだから、結末は知っていたけれど) すこし軽いのが読みたいと思って、 数日前に100円で買って来た文庫本の最後の方を読んでいたら、 登場人物の一人が自殺してしまいました。 それも、かなり唐突に。 この作家は人は死なせないだろうと、勝手に思いこんでいただけに愕然としました。 やらなきゃいけないことは、たくさんあるはずなのに、 どうせ、最後は消えるのだから、何かしてもしなくても、 大差はないのではないかと思い始めてます。 これを無気力というのでしょう。 最終的な欲求の向かう先はいつも一つで、 でもそれ向き合うのが怖くて、中途半端に逃げています。 完璧に壊れることがわかっているから、 壊れたあとで、生きていける自信がないので、 逃げています。 本当の本当にひとりぼっちだったら、 寂しく思うことも、誰かを悲しませることもないのにね。 ワインの栓を自分で閉められるようになったので、 今日は初めて残りワインを一人で飲みました。 冷えたワイン。 三角座り(体育座り)の膝の上に鼻を乗っけると甘い香りがして 心地良いです。 薔薇のお菓子のような匂い。 では、また。 やべかなこより。 # by kannne | 2009-11-23 22:58
親愛なる苺鳥へ。
なんだか、悲しくなるようなお天気でした、今日は。 外から来る人の周りにまとわりついた冷気とこっちにまで染み付くような湿気で、 なんだかもう、泣きそうでした。 それでも夜になったら雲が割れて、 星もちらちら顔を出して、 白い雲と闇青のコントラストが面白かったから、 バカみたいに空見上げながら近所のスーパーまでお散歩してしまったけれど。 先週、中学時代の友達に会って、 初めて一緒にお酒を飲みました。 卒業してからもう15年近く経とうというのにあまり変わらず、 学ランがスーツに変わっただけのようで、 人って、意外と変わらないものなのかなあ、なんて思いました。 生まれてからの15年はもちろん大きな変化でいっぱいでしょうが。 旧友が久しぶりに会った時の当たり前の会話を、あたしたちはしました。 誰々は今どこに住んでて子供が生まれた、とか、あいつはまだ結婚してない、とか あの子はこんな仕事をしてる、とか、そんな感じのことを。 とは言っても、あたしはほとんど誰とも連絡をとっていないので、 一方的に彼が教えてくれてる状態でした。 けっこう地元に残ってる人多いみたいで(まあ、東京だし) それなりに繋がっているみたいでした。 懐かしい気持ちになるかと思ったんだけど、全然で、 はっきり言ってどうでもいいな、としか思えない自分に少し驚きました。 たまたま同じ町に住んで、年齢が一緒で、 ほとんど偶然に一つの箱に入れられて同じ時期を過ごしただけで、 現在は連絡の途絶えている人たちの「今」に何の興味も沸きませんでした。 あの頃から自分だけすごく離れてしまったような気がして、体の奥が冷たくなりました。 そのくせ口では懐かしいなあ、同窓会したいよねえ、なんて 思ってもないこと上っ面だけで言ってる自分にまたうんざりしました。 あたしが人を信用できないのは自分がそんな風だからなんだろうな。 だから、たまに社交辞令抜きでざくざく話せる人に出会うと、 うれしくて、手放したくないと思ってしまう。 もしかしたら相手にはいい迷惑かもしれない。 身勝手な性格。 昔話は発展性がなくて好きじゃないのに、今を共有してない人と会うと、 どうしてもそういう方に話が行きがちです。 そして、昔話は好きじゃないなどと言いながら、もう過ぎてしまったものに、 いつまでもしがみついて生きているのもあたしです。 ほんとはね、悲しくなる理由が天気のせいだけじゃないことなんて よくわかっているのだよ。 11月は苦しいなあ。 どんどん寒くなるし、12月ほど気持ちが慌ただしくないぶん心に穴が空きやすい。 ま、他にも理由はあるけれど。 あたしはずっとこのままなのだろうか。 だとしたら、悲惨すぎるね。でも、何も求めることはできない。 一年に一回だけね、エゴの解放を行うのです。 自分をダークサイドに押しやるだけなのはわかっていながら。 あたしの存在が一番発展性がないのかもしれない。 誰かに話したくても、付き合わされた人の迷惑を思うと誰にも話せないことを吐露するのに、 あなたは、とても都合がいいです。 ごめんね。 ノートに書きなぐってもいいんだけど、たまに消化不良になるんだな。 明日のお昼ごはんのための炊き込みご飯が炊きあがったようです。 今日から新米になったのだけど、もちっと感がもう感動的です。 水加減かなり適当でも、ちゃんともちもち。 明日が楽しみです。 一日一つでも楽しみがあるとやり過ごせます。 やり過ごしの繰り返しで、また一年過ぎてゆくのだとしても。 結局のところ、望みなんて一つだけなのだ。 誰にも知られたくない、他人から見れば、 薄っぺらい、ただ一つの。 あー、ウイスキー買っておけばよかったのに。 やれやれ、だ。 では、また。 やべ かなこより。 # by kannne | 2009-11-20 00:15
親愛なる苺鳥へ。
ちぎれそうな日々を過ごしています。 今日は、いいお天気ですね。 先週末に誕生日パーティがありました。 あたしのじゃないです。 友達の、37歳の誕生日パーティ。 何回、「いくつになったの?」と尋ねても、 「17歳!」という答えしか返ってこず、ケーキに立てた蝋燭も17本でした。 グレイスの中の人(井上喜久子)でもあるまいし…。 彼の奥さんのご両親や親戚や、近所の人や、友達や、わらわらと人が集まって、まるでお正月の田舎のおばあちゃんの家みたいでした。 久しぶりに見たビールの大瓶。 次々と空になるワイン。 モッツァレラとブロッコリの和え物に春菊と生ハムのサラダ、グルナデンシロップとバルサミコで味付けしたレバーとズッキーニの温サラダ、そして二日前から仕込んであったシチュー的なもの、ブイヤベースとアイオリソース(手作り)、よく焼けたバゲット、何かの漬け物に小僧寿しのパーティパック、殻付き銀杏。 どんな組み合わせだ、いったい。 最後は不二家のショートケーキとりんごのタルト、シャンパンで乾杯しました。 りんごのタルトは、プロヴァンスで夫婦でパン屋を営んでいたおばあちゃんの秘伝レシピです。だんなさんの死後、南仏のちょっとした富豪だか地主だかの家で料理長を任されていたというから、料理の腕前は確かなもの。もちろんお菓子も。 これより美味しいタルト生地は出会ったことがありません。 大好きなタルトです。 おばあちゃんもまさか、自分が死んで20年も経った21世紀の東京に自分のタルトのファンがいるなんて思いもしないでしょう。 みんなを感動の渦に巻き込んでました。 紅玉が見つからなかったのがちょっと残念だ。 そして、あたしはやっぱりレバーと銀杏と生クリームは苦手だった。 12時半ころお開きになって、翌日仕事の心配のない人たちだけで、2階のスタジオで朝までJAMセッションでした。主役の彼はベーシストで、奥さんはピアノが上手、プロドラマーもいたので、遊びといえどもかなり安定した素敵な演奏で、楽器のできないあたしはビール片手に音の波をふにゃふにゃ漂い踊りながら、気づいたらふとんの中でした。 頭の中で誰かがトンカチ叩いてるみたいで、帰り道は地獄だった。 料理の準備しながら先にラムでアペリティフ始めてたので、考えてみたら12時間くらい飲んでいたことになる。ひどい。 でも楽しかった。 気の置けない人たちとのホームパーティは良いものだ。 一週間のうち、4日間は昨日の続きのような日です。 人生死ぬまで勉強、とはよく言ったもので、 そんな中でも毎日毎日、何かしら気づくこと、学ぶことがあります。 ほんと、ゾウリムシの餌くらい些細なことでも。 そして、あたしの脳は、小さな薄い膜を張り、あたしを少しずつ閉じ込めます。 四角い箱の中で、無駄な想像力を働かせながら、どこにも行けなくなるのです。 洗濯機が一定のリズムで動いています。 今日干された洗濯物は幸せでしょう。少なくとも昨日干された子たちよりは。 薄曇りの冷たい空の下、乾かす、というよりは冷やすために吊るされたような、色とりどりのあたしの靴下。次の子たちが来るまでに今日の太陽をたくさん浴びていただきたい。 昨日は乾物用の引き出しの中から、夏の忘れ物ような素麺の残りを見つけました。 寒いのでお昼は煮麺にしました。 今日はきんぴらごぼうを作ります。 基本のきんぴらにちょっとだけガラムマサラを加えると一風変わって美味しいのです。 繰り返す日々。 時々、何のあてのない未来に不釣り合いなくらいの期待をかけて、今日を潰して生きてるような気分になります。 1分を大切にしなきゃと思い過ぎて、あせって1分が過ぎていきます。 決定的なところで、要領が悪いのでしょう。 今日は、ほんとにいいお天気ですね。 こんな日は、たまらなくビールが飲みたくなります。 では、また。 やべ かなこより。 # by kannne | 2008-11-13 12:34
親愛なる苺鳥へ。
お元気ですか。 すっかり夏ですね。梅雨ってもう明けたのかしら。 そんなに雨が降ったような感じもしなかったのだけど。でも自分の雨女っぷりには辟易しました。狙ったかのようにあたしが外に出ると雨が降る。もしくは雨足が強くなる。 特技:雨降らしって書きたくなるくらい。水不足で困ってる土地にでも行ったら救世主として崇められるかもしれない…なんて変な妄想抱くほどです。でも旅先だと、降水確率高くてもわりとお天気もっちゃうことのが多いので、多分東京の天気の神様に好ましく思われてないのでしょうね。それか日頃の行いが悪いのか。 今日は近代文学講座がありました。 島崎藤村と有島武郎。きっかけは忘れたけど、ここしばらく、藤村の「破戒」を読みたいなあ、と思っていて、(今、読みかけの本が3冊くらいあるのでそれ読み終わるまでは新しい本に手を出すのは控えるつもりです。)そのこともあって、かなり久しぶりの聴講となりました。 『自分のようなものでも何とか生きていきたい』 「春」という小説の最後にこのような一文があるそうです。 先生は今の若い人たちにこの感覚が少しでもあれば、先日の秋葉原のような事件は起こらなかったのではないか、とおっしゃってました。当時代(明治?)の象徴のような言葉。そして、いまいちこの言葉にピンとこなかった私。ってことはやはりあたしも現代っ子なのかしら。ちょっと悔しいけど。 何とか生きていきたい、という感覚がよく分かりません。他人の死には直面していても、死にそうな経験をした事がないせいか、生きたい!という強い欲求もないし、自分自身の生に対しての執着があまりありません。でも人生一回こっきりっていうのはよく感じることだし、今終わっちゃうのはいろんなことがあまりに中途半端すぎて困るので、執着ないけど死にたくもないです。それに自分の葬式代くらいは貯めておいてからじゃないと残された人たちも大変だしね。 って何の話かわからなくなってきた。 無理矢理まとめてみると、先生がこんな暑い最中に藤村をテーマにするのは重々しくていささか気が引けるといった意味がよくわかる講座でした。なんというか日本人特有の申し訳なさ、妙な腰の低さが小説全体から滲みでてくるような人物なのかあ、と。一つも読んだことないくせにさ。 有島武郎も「或る女」の作者ってくらいしか知らなかったのですが、そして「或る女」も名前だけしか知らなったのですが、ちょっと興味が出て来たので、藤村の次くらいに読んでみようと思います。破滅のエネルギー…。ドキっとする言葉。 それにしてもこの講座、見事にシルバー世代ばかりです。先生が齢86歳(元気。昨年急病で休講になったこともあったけど)のおじいちゃまだからかな。あたし、ここにいてもいいのかしら?と不安になるほど。何でなんだろ。若い人に情報が届いてないのかもね。何となく、四方八方高齢の方々に囲まれてると終わる頃には生気吸い取られてる感じでややぐったり(←失礼)。 最近、いままであった細々したことが、少しずつ纏まってきているような気がします。あたしは欲張りで、それにさっきも書いたように、人生一度きり、という思いが強いので、何でもかんでも手をだして、でも、もともとそんなに出来の良い作りではないうえに努力しないので、上手く行くはずもなく、全体的にバラバラしちゃって、収集つかなくなってたのですが(今もついてないのですが)何となくちらばった破片の一つ一つが自ら寄り集まってきているような、あたしを形成する要素として、形を作り出しているというか、出口は見えてないけど、光は感じる、というか、そんな気配がします。 まだまだ頑固だけど、少しは柔らかくなれたのかもしれません。 ある程度の割り切りと開き直りは必要だと感じた。 完璧主義なんて、結局何にもできない人と同じこと。 来月から一ヶ月、南の島に生きます。 モアイとご対面…できるかなあ?地上の神秘。 その前にまた会いにきますね。 ではまた。 やべかなこより。 # by kannne | 2008-07-13 23:52
親愛なる苺鳥へ。
毎日が同じような、一つの流れの中で過ぎて行きます。 でも、昨日と今日の間には決定的に違うことがあります。 それは、ピンキーがいないということ。 今朝か、それとも昨晩か、ピンキーは息をひきとりました。 もともと父が亡くなったころから体調は良くなくて、何度も生死の間を彷徨っていたから、ある程度の予想はついていたけれど、それでも死にそうになりながら、今までずっとなんとか窮地を乗り越えてきたから、今週のはじめに母からピンキーの様態が悪化したと連絡があったときも、でもきっと大丈夫、また回復するだろうとどこかで期待していました。 でも、今回ばかりは無理でした。 1年前、実家を出てから、たまに実家に帰ったときしか会ってなかったので、あたしの日常には大した変化はないはずなのに、何なのかしら、このとてつもない空虚感。 体の中に穴が開いたみたいで寒くて寒くてしかたないです。 あたしが高校生の頃、突然家にやってきて、ニャーニャー喚きながらミルクをねだってたのが、つい最近のことのように思えます。あたしの成長がそのあたりで止まってしまってるっていうのも一つの理由かもしれないけど。 あのときはほんの子猫で、子猫のまんまおばあちゃん猫になりました。 ずぅっと、バカでした。 自分が美猫だってことはわかってるみたいでした。 人間が大好きな寂しがり屋さんでした。 ノラ猫のくせにグルメでした。 恋人がいたときもありました。 ピンキーはしあわせだったのかなあ。 ノラ猫なのにたぶん10年以上は生きて、体が悪くなってからはほとんど家の中にいて飼い猫みたいだったけど、飼い猫よりはずっと厳しい環境のなかにいて、他のノラ猫にいじめられたり、猫の嫌いなご近所さんに水かけられたりひどいこともたくさんあったけど、でもうちの家族みんなピンキーのこと大切に思ってたし、なるべく彼女が自由にすごせるように接してあげたつもりです。 猫の気持ちは人の気持ちよりわからないです。 明日、実家に行きます。ピンキーとさよならするために。 ピンキーと出会えて良かったです。ほんと、突然の出会い。 特別なことは何もないけれど、あの子が10年間、なんとなく家に遊びにきてくれることでうちの家族がどれだか癒されたか量りようがありません。 ありがとうピンキー。 ゆっくり休んでね。 きっともう、あたしのことは忘れちゃってるね。 …鳥に向かって猫の話をつらつらと、失礼しました。 では、また。 やべかなこより。 # by kannne | 2008-04-12 02:51
親愛なる苺鳥へ。
お元気ですか。 今日は父の3回忌でした。早いもので、父が亡くなってから2年が経ちました。 と、いうことはあなたとも2年ぶりということです。 でも、何も変わらないね。恐ろしいほどに。 3回忌には、父の大学時代の友人が7人、参列してくれました。 あたしは、父の友人が大好きです。お葬式で初めて知った人たちばかりだし、そんなに近い関係でもないので、詳しくは存知あげませんが。ユーモアと知性と、ちょうど良いバランスを持ち合わせた人たちだと思います。 あの人たちに出会えて、共に青春時代(ある意味、特殊な青春時代)を過ごせて、父はきっと幸せだったろうなあと思ったら少し嬉しくなって、とても寂しくなりました。 何について寂しいのか、父がいないことなのか、今、あたしが長い時間を共に過ごしている人たちのほとんどが、父が亡くならなければ出会えなかった人たちだからなのか、理由はよく分かりません。ただ、今現在、周りにいる人たちとのとても繊細な関わり合いに体の内側で巨大な孤独を感じてしまい、抱えきれなくてとても苦しいです。 ごめんね、あたしすごくつまらない話をしてるね。 大半の出会いなんて、そんなものよね。出会ったのも何かの縁だし、出会わなかったのも何かの縁だし、でもそれは運命なんて大げさなものでもなんでもなくて、全てが起こるべくして起こった偶然なのだと思います。 最近、久しぶりの人によく会います。 と、いっても、1年2年振りくらいの人。多分これからも何人か会うはずです。春だからかな。 先週、ずっと会いたいと思っていた人に会いました。ほんの数十分くらい。 うまく表現できないけど、そして特別何かしたわけでも何でもないけれど、今後、また会う機会があるのかどうかも微妙だけど、あたしにとってはすごく大切なことで、そのおかげで、この一週間生きてこられたような気さえします。多分、人生全体見てみても、その人の存在はすごく重要で、(一方的にあたしにとって。)そういう人に出会えただけでも、あたしはとてもラッキーな気がします。 その昔いくらかの時間を共に過ごしながら、今はまるで違うところで生活していて(たとえ東京にいたとしても)、お互いの意志がなければなかなか会えない人たちと、たとえ1年に一回でも会うことができて、会えばすごく楽しくて有意義な感じがして、そういうのって、大切何だろうなあ…と。今日改めて感じたのです。 たくさんの偶然の関わりによって、あたしは生かされてる感じがします。 もっと大事にしなければならないね。自分の内面と、外部とのつながり方のバランスがいまいち上手くとれないまま、気がついたらずいぶん大人になってしまいました。 何となく、時間がないことを言い訳にしたくないと思いながら、言い訳すらしないまま、いろんなことを御座なりにしてきた気がします。 この2年で成長したことといえば、ワインが飲めるようになったこととと、フランス語が少しわかるようになったことくらいです。あ、あと、ボビンレースを織れるようになりました。100年前の職人さんの足下にも及ばないレベルだけど。 上手に話せる人になりたいです。 では、また。 矢部佳奈子より。 # by kannne | 2008-03-09 23:49
親愛なる苺鳥へ。
御無沙汰してます。 本当はもう、書くのをやめようかと思ってました。 どっかと繋がってるみたいだったから。 でも、誰に打ち明けるでもなく、ノートに書きなぐるわけにもいかず、手帳になんて絶対に記したくないとなると 結局、あなたに向かうしかありませんでした。 去る三月二十四日に父が他界しました。 あまりに突然のことで、本人は勿論、家族も職場の人も、誰一人として、予期していなかったと思います。 冷たく横たわる父の姿を見ても、骨になった父を見ても、この現実をすんなり受け止めているあたしがいる中で、どうしても信じたくなくて、ひょっこり帰ってくるんじゃないかと願い続けてるあたしがいて、 体の内側がぐるぐるぐるぐる、把握しきれない様々な感情で蠢いていて、はっきり言って発狂しそうです。 どうしたらいいのかわかりません。 そのくせ、意外と冷静なんです。 適当の所ではちゃんと涙を流し、母のフォローや長女としてやらなければならない事はきちんとこなし、 何の落ち度もなくスムーズに葬儀は終了し、親戚も帰り、父が居ないだけで、特別変わりのない自宅で、早めに済ませる必要のある諸手続きの確認を終えて、今、あなたに手紙を書いています。 人が死んでから、御葬式までって、すごくシステマチックに動いてゆくものなのですね。 いろんなことが予め用意されていて、後はそれに従って、要所要所で選択していけば気付いたら全て終了してるんです。便利な世の中になったんだなあ、と思いました。 あたしは、御葬式で初めて、父の友人や、職場での父や、父があたしたち家族に向かって抱いていた思いを知りました。生前、見る事のなかった父の姿がそこにはありました。 生きてる時は会話もほとんどなく、口を開けば衝突ばかりで、近付くことのできなかった父が、不思議と今はすごく近くにいます。とても頼もしい存在として。 今、一番怖いのは、父を忘れてゆくことです。時間の経過とともに、過ぎし事はどんどん色褪せてゆきます。 父の肉体はもうありませんが、あたしが父を忘れた時(完璧に忘れることはあり得ないけれど)、父のことを知る全ての人の記憶から父が消えた時(おそらく、その人たちの肉体の死が訪れた時)、父の存在の死が訪れるのだと思います。虚しいです。全ての人にいえることであっても。 なぜか、あたしはいつも、忘れることを恐れています。 それと同じくらい、忘れられることを恐れています。 誕生日の報告ね。 やっぱり、シャムの王様への道は長く険しいようでした。 あたしは、どちらかというとハロウィンの子供に近い状態でした。 お菓子を配りながら、なぜか行く先々で少しずつ持ち物が増えてゆく…。 修行がたりねぇな、と思いました。 桜が満開です。 お花見に行く余裕は今年はなさそうだけど、桜を見る度に父を思い出すことになるのでしょう。 乙女座生まれだったり、なんだか可愛らしいあたしのお父さん。 ここまで育ててくれてありがとう。 ほんとにほんとにありがとう。 最近、ありがとうばっかり言ってる。 では、また。 やべ かなこより # by kannne | 2006-03-29 00:07
親愛なる苺鳥へ。
お元気ですか。 相変わらずですか。 やっぱり、あたしは寒いの苦手みたいです。 なんだか、ずっと眠たくて、体が縮こまるせいか肩はこるし、ストレッチすら億劫になります。 朝、ベッドの中でもぞもぞと、寒い、とはどういうことか、考えてみたりしてます。なぜ、これを寒いと感じるのかとね。まあ、遅刻しない範囲で。 春が待ち遠しい。。。 冬なんて、いらない。 最近、好きな子がいます。 同い年で、誕生日も5日違いで、血液型も同じ子。 でも、あたしよりずっといい子。 すらりと背が高く、真直ぐなロングヘアで、いつも長い脚を持て余し気味に放り出しながら、少し首をかしげて、作業してます。その姿を眺めるのが、好きです。 気配りの利く、バランス感覚の優れた人で、ちょっとがさつでひょうきんなんだけど、あのひょうきんさは多分照れ隠しなんだろうなって思ってます。なんていうか、繊細な故にぶっきらぼうな感じ。そこが好き。 ちなみに、あたし達はやぎ座のB型で、やぎ座は基本的に付き合いが悪いらしく、B型は一番友達が少ないらしいです。占いとかだと、両方ともだいたいあんまりいいこと書いてないです。 この前「うれしくないよね。落ち込むよね。」って、2人で話してました。 自ら友達多い、って言ってる人をあたしはあんまり信用できません。胡散臭い。より多くの人と触れた方が度量のある人間になれると思うから、知り合いは多い方がいいけれど、本当に心の通う人なんてそうそう巡り会うものじゃないし、そんな誰彼とも打ち解けて溶け合っていたら、液状化して正体不明の人になってしまいそうです。拒絶する必要はないけれど、互いに受け入れて受け止めるってわりとエネルギーのいる作業だと思うし、一定の距離間の心地良さを共有できる人じゃないと、付き合ってて疲れてしまいます。 固く考えすぎなのかしら。 たぶん、男友達が多いのは、異性というだけで距離が自然と保ちやすいからなのかなあって思うのです。女の子との間合いの作り方がいまいちよくわかりません。いえ、距離の縮め方がよくわからない。どこまで接近すれば「仲良し」になれるのかが。2人でお茶することを想定すると、男の子より女の子の方が遥かに緊張します。変ですか。 嫌われたくないだけなのかな。女の子に。かわいいもんな、女の子って。 でもまあ、友達って便利な言葉です。人に誰かを説明するときとかに。誰でも友達。都合のいい単語。定義も曖昧。 そしてね、突き詰めて全部とっぱらって考えれば、本当に会いたい人なんて、1人くらいしかいないのです。自分の時間、削ってでも会いたい人なんて。 そんなものなのです。はん。そのことに、腹が立つ今日この頃。 先週、清里に行ってきました。写真を撮りに行ったのですが、いろいろ学習しました。 一番学んだことは、冬に清里なんて行くもんじゃあ、ない。ということです。 雪積もってるし、道は凍結してて、そのまま天国に繋がってそうだし、開いてる店なんて全然ないし、公衆トイレですら「凍結防止のため」なんて水もでないし。 小鳥の囀りなんて、録音できたりしないかなぁー、とちらっと企んでたのですが、小鳥もあの寒さじゃ、どこかに隠れてしまうよね。変わりに鹿か何かの後ろ足2本見つけました。落ちてました。綺麗でした。誰かが食べた残りかね、って話してました。 冬の清里の空気は鋭くて、明け透けに澄み切ってて、丸見えすぎて息苦しいくらいでした。 あの時は疲労もあってよくわかんなかったけど、東京戻って写真見て、行っただけのものは撮れたんじゃないかな、と思いました。気に入ってます。協力してくれた人たちには、感謝してもし尽くせないので、もう頑張るしかないです。 クリスマスが過ぎたということは、誕生日まで、10日を切ったということです。 次の誕生日はシャムの王様を見習って、あたしがみんなにプレゼントを配って歩こうと思います。ありがとうって。ちなみにスペインにも似たような習慣があるようです。 昨日クリスマス(イヴ)バースデイの友達とカフェマディに行ったら、店員さんがケーキセット一つサービスしてくれました。世の中捨てたもんじゃないと思いました。 あ、村主さんおめでとう。あたしは実は彼女の演技が一番好きなので、心底うれしいです。 可憐ではかなげで、バレエの要素が多い感じで好みです。 フィギュアってアクロバティックであんまり興味がなかったのだけど、彼女の演技を見て、フィギュアも見るようになりました。って今年はまるで見てないけど。 アイスダンスが好きです。氷上の社交ダンス。スカートもヒラヒラしてるし。何回転しようが関係ないの。表現力と華がある方が好きなの。細かいこと、よくわかんないし。 では、よいお年を。 やべかなこより。 # by kannne | 2005-12-26 20:32
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